私は誇り高き生産者になりたいのですが、現実には薄汚い消費者です。残念ながら、それは私が一生かけても変わらないでしょう。
では、現実問題として、私は何をすべきで、どこまでやれるのでしょうか。何に対してどれだけリソースを割くべきでしょうか。考えましたが、そんな大層なものなんて欠片もありませんでした。
前回
私は消費者である
私にできることは食って糞して寝るだけです。それは消費行動です。私はプログラミングが好きでやってますが、そのせいで電気を消費しています。それも消費行動です。私は生産行動だと信じたいのですが、どう考えても消費するほうが多いでしょう。
仮に価値あるものを生み出せたとして、それが消費したものに見合うと言えるのでしょうか? 代わりになるものなど、ありはしません。すべては唯一無二の存在です。ならば犠牲を踏みにじっていくしかないのでしょう。その価値が私にあると思えないところが悩みの種ですが、仕方ありません。目をそらします。
私は暗号通貨モナコインに手を出しました。その取引にはマイニング処理が必要です。一件あたり90秒もの時間がかかるような計算が必要らしいです。ビットコインは5分必要らしいので、それよりマシとはいえど。取引のために消費されるエネルギーはいかほどでしょうか。はたして、本当にこんなことをしていて良いのでしょうか。悪行に加担しているのではないでしょうか。
人が人の信用をとりもどすため、公平なシステムとして分散ネットワークや、暗号通貨を利用する。それは価値あることかもしれません。たとえ実際は詐欺の商材やおもちゃのようなものでも、そう信じなければはじまりません。でも、そのために地球環境の悪化を促進させてよいものでしょうか。それがまずいと思う人が多いから暗号通貨全体の価値がさがっているのでしょうに。
やるしかない
どうせ何もせず腐ったところで消費するだけ。なら、考え、手を動かし、試してみるしか、活路を開く道はありません。そこに意味や価値があると信じて。何もなくても。とにかくやってみる。
- 好きなことを
- 好きなときに
- 好きなように
- 好きなだけ
- やる
これが、実現可能で、最も生産効率の高い方法だと思います。私はエゴによってしか決断できません。ならばその卑しさと汚なさと心弱さを武器に戦うしかないでしょう。持てるものがクソみたいなものでも、それしかない以上、その条件でやるしかありません。ないものはないんです。ないないづくしの無能マンとして、この厳しい世界のなか、子鹿のごとくプルプル立つしかないのです。弱いことは言い訳になりません。嫌だなぁ。
私の好きなことはプログラミングなので、それをやるしかありません。ほかには、こうしてウダウダと言っても仕方ない言い訳をすることでしょうか。ほかはせいぜい、静かに、穏やかにすごしたいと思っているくらいです。
自給自足が究極の理想です。それは経済的な価値のない生活なので、社会からは容認されないでしょう。そもそも、それができる能力もありません。でも、持続可能社会を目指すためには、今の社会のあり方から脱するしかないと思っています。ならばもう、社会に順応することは諦めて、私は私を生きるしかありません。
さようなら社会。私はネットの海を漂うゴミとして存在することを選びました。