人は経済社会の中でお金を稼いで生きています。では、儲けることとは、何をすることでしょうか。
前回
儲けることは奪うことである
お金を稼ぐこと。儲けること。利益を追求すること。それすなわち、他者から奪うことです。
儲けとは、収入から支出を差し引いて残ったもののことです。
もし自分がほしいものを自分の力だけで得たら、それは収支が打ち消し合いプラマイゼロとなります。利益はありません。
強いて言うならその経験で得た学習が利益でしょうが、やはり痛い目にあうなどの苦労というコストがあります。打ち消し合ってゼロでしょう。そして経験や消耗はそのどちらも直接、経済的な利益とはいえません。利益とは他者と取引することによって生まれるからです。
つまり自給自足での生活では経済的な利益が得られません。それを認めることは、自給自足で生きている人やその命にも経済的な価値はない、ということになります。少なくとも経済社会において経済的に関わりがなければ存在しないのと同じです。それは無価値といえるでしょう。無関係者は無価値です。
経験は、人が生きるための資産であると思います。経済上においても個人の経験は資産になるはずです。が、それを正しく定量化することはできません。何をどう使うことで、どれだけの価値を生むのか。そんなことは計測不能だからです。仮定して算出することはできますが、確実性はありません。では、どうしたら確実に利益を得られるでしょうか?
儲ける方法
利益を得るには、自分は働かずコストを支払わず、かつ他人を働かせてその成果だけを徴収することです。労せず成果を得る。それが利益を得るということです。つまり、利益を得ることは、人から奪うことです。
たとえば民を働かせ、投資させ、リスクだけを負わせて、そうして産まれた成果の一部を税として徴収します。一部の元締めだけが儲けられるシステム。これは宝くじやカジノなど賭博におけるシステムも同じです。ネズミ講やポンジスキームなどの詐欺もそうです。大勢を犠牲にし、一部の人間だけが一方的に搾取する。これこそが、利益を得るということです。
もっとも、そんなことを100%完全な形で実現できる人など、いくら権力者であっても難しいでしょうが。
儲けることは、人を騙し奪うことです。その過程には生産的なこともあるかもしれませんが、大筋では追求するほど先細りしてゆく傾向にあると思えます。人の欲望は肥大化の一途であるため、資源が底をつきてしまう事態は避けられないでしょう。こんな体制をいつまでも続けられるとは思えません。続いてほしくもありません。
私が最優先すべきことは金儲けだと思いたくありません。その必要はあると認めますが。
では、私は何をすべきなのでしょうか。その答えを知るために、もっと考えてみたいところです。きっとすべきことなど、何もないのでしょうが。
儲けることは交換または生産することでは?
儲けることは、誰かが対価を支払ったということです。その成果物に価値を認め、それと交換するために対価を支払う。それは交換であるし、生産であるはずです。一方的に奪うことだと言い切るのは、あまりに横暴では?
たとえブラック企業で搾取されているとしても、それなりに食っていければそれでいい。相当ピンハネされているとしても、やりがいも人生の時間も人権も搾取されているとしても、そんなものだと諦め、受け入れてしまえば、それほど悪いことでもない。人は慣れる生き物なのだから。そう思うことも、できるかもしれません。そんな社会に順応し、生きることができること自体が儲けものかもしれません。
何をどう解釈するのか。それによって答えが変わるでしょう。