お金に価値はありません。価値があるのは生産者のほうです。

前回

お金の価値は生産者が生み出している

生産者がいるからお金に価値が生まれます。価値あるものを作ってくれる人がいるから、それと交換できるお金に価値があるのです。つまり、本当に価値があるのは生産者のほうであって、お金ではありません。もし生産者がいなくなればお金に価値はなくなります。

生産者が搾取されるから破綻する

残念ながら、今の社会は価値あるものを作れる人がいなくなってゆく世の中です。なぜか。それは利益を追求するからです。経済社会は利益を追求することが正義であり、それができる人間だけが生き残っていけます。そして私は利益追求とは、他者から奪うことだと考えました。では、誰から奪うのでしょうか? 生産者です。奪いたくなるほど価値あるものを生み出せるのは生産者だけです。消費者、略奪者は、自分では価値あるものが生み出せないから奪うのです。

では、生産者が奪われてしまえばどうなりますか? 生きていけません。なにせ奪うよりも作り出すことのほうが遙かに大きな労力を必要とします。それだけ大きなコストを支払って生産したのに、対価を得ることもできず、ただ奪われてしまえば、損失しか残りません。生きるために必要な糧さえ得られず、生産者は息絶えます。

そんな状況をみて、私たちはこう考えます。生産者は奪われるだけの羊だ。それでは生き残れず食われるだけ。生き残るためには、奪う側の狼にならねばならない。あるいは騙し取る狐にならねばならない、と。

かくして私たちは利益追求と銘打って、それがさも正しく立派であるかのように言い聞かせ、自分が生きるために破滅の道をゆくのです。

利益追求に、持続可能性はありません。破滅加速性しかありません。だから私は利益追求という生き方を否定します。他人がどう生きるかは勝手ですが、私がどう生きるかは私の勝手です。その上で、私は利益追求という生き方を理想とはしません。私が命をかけて目指すべき場所とは思えません。現実には生きるために必要であり求めねばならないものではあります。が、理想にすえることはできません。

私は生産者になりたいです。生産者として自信と誇りをもったまま、狼や狐とも渡り合える羊、すなわちキメラでありたい。