つぶやき。ぽえむ。これは無職業者BOTさんが好んで使う枕詞ですが
今回は本当に誰宛てということもなく。

ボクセルアートを趣味にしているのですが

最近アート作品に対して「この方がartstationでlikeが来るな」とか
「この宗教系の作品のがウケがいいな」とか
考えるようになってきました。
しかしこれは「自分が吐き出したいものを作るのがアート」という基本から逸脱します。
いわば「不特定多数の需要を受けて作るデザイナー」だと思います。

そこから転じて色々考えました。
ツイッターもartstationも吐き出すものが絵か文字かの違いだけで
要するに誰かから承認されることを前提とした承認欲求システムなんだと。
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詳しくない方の為に簡単に説明すると、
人間は①生きるための欲求を求め ②次に身の安全を求め ③次に社会的な信用を求め ④最後に誰かから承認されたいという欲求を持ちます。
以前amazonか誰かが出した本を読んだときに「SNSの基本はスロットマシンのようなドキドキする刺激と誰かに承認されたいという欲求を適度に刺激して中毒に落とし込む危険なツール」ということを書いていました。
更にfacebookなどの初期開発メンバーはその危険性を(開発した側でもあるので)十分理解しており自身はSNSをやっていないそうです。

「アクションマシマシ」というワードを先日放ったわれらがアクション俳優キアヌもSNSをやらないそうです。


私は好きな絵が描きたいのか?なら作って公開すると承認欲求を刺激されるから公開しないことが最善の選択肢ではないか
という疑問と

ツイートをするといいねを意識する。いいねを意識しないツイートは通知が出るので不可能、ならツイートしないことが最善の選択肢ではないか?
という疑問が出ていました。

承認欲求の副作用

これは実体験ですが「こんなことやってます!いいねして!」を意識しだすと、自身の磨きが遅くなる気がします。
かつてモナ文具というモナコイン決済ECを運営していた時は勉強相当してましたし、承認欲求は微塵もありませんでした。しかし先日までのボクセルアートやらNFTやらをやっている自分は承認欲求に支配され「より難しい作品を作ろう」とか「新しいプログラミング言語を練習してみよう」とか全然思いついていませんでした。
承認欲求には自分磨きを怠りがちになるという副作用があると私は考えます

人には言えない会社経営の分野ではツイートのしようがないためか(イキった言い方ですが)常に新しい統計の方法を学んだり、決算書の読み方を習得しています。副作用を反対にとらえると「人に言わないことで自分への磨き上げが加速する」気がします。

自分はこんなことができると人に知ってもらいたいという気持ちが無いわけではないんですが、とはいえそれを意識すると自分を高める努力が鈍化します。自分を見続けるのが一番自分を高める効率が良いわけです。
人と会話するより頭で言語化されないまま自問自答する方が(物理的な会話作業や相手の脳みそスペックというボトルネックがない分)早いことが多々ありますが似ています。

今後どうするべきか

アートは作り続けたいしどこかに作品は残したい。しかし誰かに公開することで承認欲求刺激の負の連鎖に入るのは防ぎたい。Artstationでフォローしてくれる人の期待にこたえたい気持ちとの葛藤です。
最初NFTも面白いなと思いましたけど、あれ結局自分の作品や自分の画廊を見せていいねもらう承認欲求刺激のシステムだったと気づいたら、もう触るのは危険です

いろいろ難しいですね。