こんにちは

もう数か月も前のことなんですが
知覧特攻平和会館に訪れてきました。

知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示している施設です。

僕のおじいちゃんやお父さんもここを訪れたことがあり、「九州にいるなら知覧特攻平和会館を一度は見ておいた方が良い」といわれていました。

車を購入して間もないころ、片道315kmの道のりをかけて訪問してきました。ボクスターを買って最初のロングドライブだったので道中や帰り道で考えていたことなども鮮明に覚えています。

出発地の福岡は晴れていたのですが、熊本あたりから雲がかかり始め、鹿児島に入ったころには雨が降り始めました。

知覧特攻平和会館

資料館の外

資料館の外には、三角兵舎を復元したものが展示してあります。

三角兵舎は特攻隊員たちが出撃するまでの起居していた半地下式の建物で、隊員たちは日の丸に寄せ書きを書いたり、故郷へ送る遺書や手紙を書いたりしていたそうです。

建物が林の中にあり、地面に埋まっているような造りをしているのは、空襲時に敵機に認識されにくくするためだそうです。

出撃前日は、ここで酒などを飲み打ち上げをし、わいわいやっていたそうなのですが、夜はやはり皆眠ることはできず、涙しながら夜を明かす隊員がほとんどだったと聞きました。

資料館入口

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入館料は500円です。

資料館内

資料館の中では撮影可能なエリアは一部のみです。
零戦展示室でのカメラ撮影は可能でした

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この零戦は鹿児島県甑島の手打港の沖約500メートル、水深約35メートルのところに海没していたものを知覧町(当時)が昭和55年6月に引き揚げたものだそうです。

展示室

展示室では写真撮影は不可でした。

展示室内では特攻隊員の服、持ち物、遺書などさまざまなものが展示されています。

いくつかの写真は公式ページでは公開されているので中の雰囲気が気になる人はこちらを

https://www.chiran-tokkou.jp/relics.html

1,036名の隊員の遺影が、出撃戦死した月日の順に掲示されています。立体ケースには家族・知人に残した遺書・手紙・辞世・絶筆などが展示してありました

僕は遺書を中心に読みました。
ほとんどの特攻隊員が17歳から25歳くらいの青年でした。
私とほとんど変わらない年齢です。

皆さんが書かれている遺書は、とても同年代の人間が書いたとは思えないほど重い文章でした。

もちろん、当時のことですから検閲があるため本当の心の内がすべて書けたわけではないでしょう。
それでも、みなさんに共通しているのは
親兄弟、恋人、妻などに向けた文章であることです。

中には、婚約をしていた相手への思いを綴った手紙もありました。私の中で一番印象深かったのはその手紙でした。

その手紙の中では、
「あなたは、わたしとは違い未来を生きる人だ。過去に生きる私のことは忘れ、あなたは素敵な人生を歩んでください」といった旨の思いが書き留められていました。

きっと戦争が無ければ2人は結ばれて、共に生きる未来があったのかもしれない。
お互いに愛し合ったかからこそ、死んでも愛した人の記憶の中には残りたいと最後は思うかもしれない。

それでも、その方は最後に残した手紙には
自分は過去に生きる人間だとして、自分が愛した相手には自分のいない未来を自由に生きてほしいという意思を残していったのです。

ここに展示されている、1036人のすべての方々に大切な方がいながら、命を賭して散っていったと思うと何とも言えない気持ちになりました。

ぜひ一度は訪れてほしい

この展示を見て、どう思うかは個々人の問題なのでそこに言及する気はありませんが、実際過去にいろいろな思いとともに散っていった人間がいるということは紛れもない事実です。

そんな彼らが書いた遺書や身の回りのものなどは一度は見ておくべきだと思います。